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恭三郎の部屋

ROOM OF KYOZABURO

柘製作所代表取締役・柘恭三郎のブログ。

チャールズ・ラットレーその2

初めてのパイプたばこ工場訪問

ロンドン郊外にあったロバート・マッコーネル兄弟会社のパイプたばこ工場は、30坪程の土地に4―5階建ての古いビルだった。一階に原料置場と、パイプたばこを作るプレスマシーン、カッティングマシーン等の重たい機会が黒光りする姿で並んでいた。缶に詰めたり、ラベル張りは2階の作業場で行われていた。ここでラットレーのパイプたばこを作っているのだと思うと感激もひとしおだった。
今でも鮮明に覚えているのが、50g缶100g缶にたばこを詰める時、計量した後、一缶一缶手詰めされ、30センチ程の木製のバット型の道具で、たばこを押し込んでいた。勿論、バキューム工程の前だが、とても手間のかかる作業で製品化せれていることが判った。
それまでは、日本専売公社の大規模なたばこ工場ばかりしか見ていたので、小規模なたばこ工場の見学は初めてだったので感心させられた。それまでは大規模な工場で作られていると思ったのに、狭い場所で、機械も古い、プレートを見ると1900年前後の年代のものばかりだ。その古さと、小規模な生産設備に、俄然、興味が湧いた。動力は天井に回転シャフトがあり、ベルトで各々の機械を動かしていた。 柘製作所の昭和20年代の工場みたいだった。機械類は、パースのチャールズ・ラットレーの工場にあったものを使っていた。その後、これらの機械は1980年代後半にはドイツハンブルグのウエード社に移り、現在はコールハス・コップ社の工場にある。いまだに現役である。その機械でラットレー製品を作っていいるのだから驚かされる。

パイプたばこは、歴史的な伝統の上に立って作られているのが嬉しかった。それも、ほとんど手作りであることも余計に感動を覚えた。

当時のイングリッシュミックスチャーの名品は、ラッタレーに限らずOEMでこの工場で作られていることも判った。当時、評判高かった某ブランドのイングリッシュ・ミックスチャーもここで作られていた。9月の終わりに、湖水地方ケンダルにサミュエル・ガーウイズ社の工場を訪問した時に、この話をしたら、たばこの素材は彼らが送っていたと聞いた。それも、ラットレーがパースで作られていた時代からだそうだ。

チャールズ・の名品14種類は1900年を境に、これらの機械で作られたていた。それが、いまだにドイツのハンブルグでいまだに働いているのだ。