header_btn
恭三郎の部屋

ROOM OF KYOZABURO

柘製作所代表取締役・柘恭三郎のブログ。

シャコムの前社長イヴ・グレナール氏が逝去。享年77。

 

先週末、息子のアントワンヌからイヴの逝去のメールが届いた。パイプの業界では欠かすことの出来ない展示会、フランクフルトメッセの前日だった。弊社の三井常務は既に出発し、私が三日後に日本を出た。イブの逝去は世界中から集まっているパイプ業者の間を衝撃となって伝わり、誰もが彼の死を悼んだ。

 

イヴ・グレナールは、1970年代にコモイ家から経営を引継ぎ、『シャコム』を世界的一流ブランドに育て上げた。サンクロードの伝説的な男として、パイプ業界で有名になった。その理由を今あらためて考えてみると、『アメリカ的センスが主流だったパイプの美学を、ヨーロッパ的というか、フランス的美学に置き換えた』。これが成功の鍵だったのではないか。

アメリカ的センスとヨーロッパ的センスの違いとは何か。20世紀前半、嗜好品としてのブライヤーパイプの市場は、アメリカが巨大マーケットとして成長した。フランス、イタリアのブライヤーメーカーはこぞってアメリカ向けのパイプを大量に作った。後発のイタリアパイプの生産地であるコモ湖近くのバレーゼからミラノまで、パイプの輸送と働き手の交通手段として鉄道まで引かれるに至った。フランスもジュラ山中にまで鉄道を引き、パイプがサンクロードからリヨン、マルセイユへと運ばれ、アメリカに輸出されていった。アメリカ的なシェイプというと、細身で長く、典型的なのはビングクロスビーがいつも咥えていたロング・ビリアード。シャンクと吸い口が長めのものが好まれていた。

その状況の中でシャコムは、吸い口を短くしたクラシックシェイプを中心に据えたシリーズパイプを展開した。シンプルでコンパクト、そこにパイプ職人の腕の良さが加わり、それが爆発的な人気を博したのだろう。そのデザイン、ブライヤー素材、そして仕事の素晴らしさを見ることができる最後の製品、シャコムロイヤルを、当社が三年前にシャコムの倉庫で見つけ販売した。当時のシャコムの職人たちは英国のコモイも作っていた。彼らは後年、BBB、オーリック、ケーウーディーの高級品クラスまで請け負った。この歴史的な背景は、後日詳しく書くことにしよう。


イブはフランスのパイプの歴史にとって、かけがえのない人物だった。私が初めて会ったのは19歳、フランスの物産展の時だった。あれから45年。長い付き合いだった。

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

合掌。