柘製作所の歴史は日本のパイプの歴史である Tsuge History 柘製作所の創業者・柘恭一郎。その99年にわたる生涯は、誰よりもパイプ作りを愛し、世界のパイプ愛好家に愛され続けた男の足跡でもある。

パイプを丹念に検品する恭一郎。
上:昭和30年頃の恭一郎と妻・玉江。
下:1941(昭和16)年、恭一郎に次男・利徳(3代目社長)が誕生。
1911

父と母から受け継いだモノ作りにかける情熱

柘製作所の創業者・柘恭一郎は、1911(明治44)年2月25日に石川県金沢市で生まれた。
母・慶は、加賀の刀匠「兼若」の子孫であった。父方の外茂三郎は、加賀藩士柘家の武士の出だ。
柘家は、加賀前田家の家老職まで務めた名門である。
生涯にわたって恭一郎を突き動かしたモノ作りにかける情熱は、こうした両親の血を受け継いだからこそ生まれたといえるだろう。
最愛の母と恭一郎
若き日の恭一郎(左)
1924

象牙パイプ職人の親方のもとで丁稚奉公

父の仕事の関係で朝鮮京城で暮らしていたが、1923(大正12)年12歳の時に母を、その1年後には父が亡くなるという不幸が襲う。
わずか13歳で孤児となった恭一郎は、親戚に連れられて東京に戻ってすぐに、象牙パイプ(当時シガレットホルダーもパイプと呼んでいた)を作っている親方のもとで、丁稚奉公として住み込みで働き始めた。
1936

厳しい修行時代を耐え念願の独立開業

早朝から深夜まで働き詰めの修業時代を耐え、一人前のパイプ職人となった恭一郎は、1936(昭和11)年25歳の時に玉江と結婚。
同年3月、念願の独立を果たし、象牙のシガレットホルダーを製造する工場として、柘製作所を創設した。
しかし、職人から企業家への道を歩み始めた矢先、第二次世界大戦が勃発。
やがて恭一郎も出征することとなる。

後に残された工場は国家の要請で生産設備を活かし、木製の銃床を作っていた。
妻の玉江も乳飲み子を背負い、職人達と銃床の磨きを手伝うほどであったという。

1936(昭和11)年、創業時の柘製作所と恭一郎。
柘製作所創設期に作られた木彫りのパイプとオール象牙のパイプ。
1945

日本を代表するパイプメーカーへの道

終戦を迎えた1945(昭和20)年。
復員した恭一郎は再びシガレットホルダーを作る仕事に着手しようとしたが、材料となる象牙はGHQの管理下にあり、入手は困難を極めた。
そこで、代わりの素材として目をつけたのが桜の木だった。
早速、東北で入手し、シガレットホルダーを作ろうとした頃、進駐軍がパイプたばこを放出。
さらにはマッカーサー元帥がパイプをくわえて厚木飛行場に降り立った姿が報道されたことも影響し、日本でもパイプが大量に売れ始めた。

戦後のパイプブームとともに、柘製作所でもシガレットホルダーよりパイプを作らなければならなくなり、傘の手元職人を雇い入れ、桜の木でビリヤードとビリヤードベントのパイプを作り始める。
急速に広がる市場の需要に応えていた柘製作所は、最盛期120名の職人を抱えるまでになり、時代の最先端をいく職場となった。

その勢いは、NHKが石黒敬七旦那が出ていた「トンチ教室」という当時の人気ラジオ番組を柘製作所の工場から放送したほどである。

1945(昭和20)年、連合国軍最高司令官
マッカーサーが厚木へ。
戦後、さまざまな素材で作られたパイプ。

世界の愛好家を魅了するTSUGEブランドへ Tsuge Pipe Brand 職人達のあくなき情熱と卓越した技術から生み出されるTSUGEブランドのパイプ。その比類なき美しさと品質は、世界中のパイプ愛好家を魅了し続けている。

1978(昭和53)年5月、西ドイツでの展示会に初出品。世界進出の第一歩に。
1950

海外の市場を見据えたパイプ作りに着手

1950年代に入るとブライヤーの輸入が可能になり、柘製作所でもブライヤーパイプを作り始めた。
また、恭一郎のアイデアで、知人の象牙彫刻作家にパイプのボウルに彫刻を施すことを依頼。「富士山」「三猿」「東照宮」「芸者」といったモチーフを彫りこみ、当時の進駐軍のお土産として、帝国ホテル、横浜将校クラブなどの外国人向けショップ、「PX」や「USO」などの進駐軍専門のショップで販売した。

1960年代にはベトナム戦線が拡大し兵士が増え、パイプが売れるという時期があり、サイゴンには大量の日本製の桜材で作ったパイプが輸出された。

お土産として人気を集めた柘のパイプ。
ブライヤーを手にする創業者・恭一郎。
1970

世界でも称賛された卓越した職人技

1970年代に入ると、急激な円高により、価格で勝負する製品はアジアの新興国が主流になった。
大量生産中心から、円高でも輸出できる付加価値の高いハンド・メイド・パイプ作りへとシフトするため、後に柘の“マスタークラフツマン”となる福田和弘を含む職人6名が、イタリアやデンマークのパイプ工場で学ぶべく渡欧。
また、福田と佐藤はフリーハンドパイプの大御所シックステン・イヴァルソン、ヨーゲン・ラーセンに師事した。

帰国後、彼らはオリジナルのフリーハンドパイプを作り始めた。
そして、福田が作った3本のパイプが、当時アメリカ最大手の喫煙具店・イワンリース社長の目にとまり、柘製作所は初めての海外進出を果たすことになった。
やがて評判を聞きつけたドイツのラウファー社からもオファーを受け、ヨーロッパでも成功を収めた。福田が作ったこのパイプこそ、後に柘製作所の名前を全世界に知らしめることになる最高峰のモデル「イケバナ」だった。
柘製作所のフリーハンドパイプからシリーズパイプまでが、ドイツ、スイスの有名喫煙具店に並ぶようになった当時、「車、オートバイの次は、パイプまでやって来た!」と話題になるほどだった。

70年代の工場内。中央左が恭三郎、中央右が現在も活躍する職人・福田和弘。
1972(昭和47)年ヨーロッパ視察旅行で、英国のオッペンハイマー・パイプ工場を訪問。
工場長と恭三郎、恭一郎夫妻。
初期の柘製作所手作りパイプ。
1980

勲五等瑞宝章を授与された生涯忘れ得ぬ日

やがて、パイプの原料ブライヤーや吸い口のエボナイト等の輸入に始まり、世界中の有名な製品パイプの輸入代理店も開始。アンティーク喫煙具の分野でも商取引を行い、修理や鑑定も手がけるようになった柘製作所は順調な成長を遂げた。

1981(昭和56)年4月29日。恭一郎が70歳の時、業界の発展に対する長年の尽力が認められ、勲五等瑞宝章を授与される。 昭和天皇から「国民のために頑張ってください」とのお言葉を頂いたこの日は、13歳からパイプ作りに励んできた恭一郎にとって、生涯忘れ得ぬ日となった。

1987(昭和62)年、たばこの輸入が自由化されると「ZIG-ZAG」「OCB」の取扱いを開始。 同年、恭一郎の三男・恭三郎に「パイプの騎士」の称号が贈られる。

柘恭一郎、勲五等瑞宝章授与。
柘恭三郎に「パイプの騎士」の
称号が贈られる。
1990

パイプに人生を捧げた男の夢は未来に継がれる

1996(平成8)年85歳で社長を退任した後も、跡を継いだ3人の息子たちと社員の仕事を見守り続けた恭一郎。 明治、大正、昭和、平成を生き抜き、誰よりもパイプ作りを愛した男は、2010(平成22)年11月2日午前9時18分、 家族全員が見守る中、眠るように旅立っていった。享年99歳だった。

2000

世界のTSUGEとしてその名を刻む

2004(平成16)年、黒いシガレット「ブラックデビル」の国内取扱いを開始。
2011(平成23)年、恭三郎が柘製作所の4代目社長に就任。
2013(平成25)年、オーストリアのオイルライターの老舗「IMCO(イムコ)」ブランドを引き継ぐ。
同年、英国の名門ダンヒルの喫煙部門における日本総代理店となり、高級パイプの代名詞「ザ・ホワイトスポット」の伝説にその名を刻むこととなった。
2015(平成27)年、アメリカ葉巻業界の最大手ドリュー・エステイトと相互販売の代理店契約を結ぶ。

2004(平成16)年、
「ブラックデビル」取扱開始。
2013(平成25)年、
「IMCO」ブランドを引き継ぐ。
2013(平成25)年、
英国「ホワイトスポットダンヒル」の日本総代理店に。
2015(平成27)年、
「ドリュー・エステイト」にパイプとパイプたばこの供給を開始。
2016

次の100年へ、世界を駆けるTSUGEブランド

名だたるトップブランドや小売店とパートナーシップを結び、ワールドワイドに事業を展開する柘製作所。
2016(平成28)年3月、創業80周年を迎えた。80年の歴史と信頼を礎に、その先の100年に向けて、ものづくりにこだわりながら、浅草から世界へとさらに羽ばたいていく。